こんばんわ。うわごとです。今日もうわごと。
土曜日はやたら風が強かったですね。風に乗って深夜にメールが届きました。
風が強くて眠れない。
それから風は朝まで私とアヤの間を行ったり来たりメールを運び続けることに。他愛のない話を取り留めなく。
恋と愛の違いは?
知ってる知ってる。それ知ってる。(愛って何?参照)
そんなこんなで午前5時。あれ?私はアヤと付き合ってるんだっけか?と錯覚に陥りますwこれはたわごと。
開くとは「ココロ」のこと。ニュアンスが違うような気もするし、怒られそうな気もするのだけど、「ココロ」という言葉にしておきます。うわごとだから。。。
人は、結婚したり離婚したり、人と付き合ったり別れたり、悩んだり解決したり、深く考えたりする区切りに、ふと、何となく心変わりをします。変わり方は人それぞれで、もちろん変わらない人もいます。
例えば、誰かが誰かと結婚したとして、その時に、「今は、愛する旦那さんがいるから、今までのようには付き合えない」と考える人もいれば、「お互い結婚しているし、男女の仲とかそういうこじれそうな壁もなくなったから、より気軽に付き合えるね」と考える人もいる。
もちろんこれは一例で、それだけではないし、そんなに単純なものでもない。と思う。でも、人は弱い生き物なので、おおむね自分の都合でしかものを捉えない。だから変化に対して、(今までと比べて)距離を取られれば「嫌われた?」とか「捨てられた?」なんて思うし、距離が近づけば「惚れられた?」とか「奥さん、困りますw」なんて勝手に思う訳で、そして、それがそうであろうとそうでなかろうと、その人に取ってはそれが受ける印象の全てで、寂しくなってみたり、舞い上がってみたりする。
壁を作る人と分かり合うのは難しい。コミュニケーションの基本は、「相手を受け入れる」ことだと思うから。ココロを開いている人と閉じている人には、同じことを言っても響き方が違う。あるいは全く響かない。
が、しかししかしかし。どうもこれだけだと、うまく行かないと思う今日この頃。「受け入れる」ことと「距離が近い」というのは必ずしも同じではない。ひとつの表現であって、同義ではない。距離が近いからと言って受け入れられているとは限らないし、距離が遠いからと言って受け入れられていない訳ではない。
距離が近いとか遠いとか、人懐っこいとか邪険だとか、そういったものは、ごく表面的なことで、かと言ってそれほど軽んじて良いものではないと思うが、相対的で絶対的なものではないと思う。何が言いたいかと言うと、どうしても目が行ってしまいがちな、「何かのきっかけで変わってしまうような部分」にばかり囚われるのではなく、もっとプリミティブな部分でのつながりを見出して行く必要があるのではないかと言うこと。
どれくらいのココロの開き加減が現在のお互いの関係にとって平均的(?この表現、何か違う気もするけど・・・)なのかを知っていれば、大きな波が来ても、激しく退いても、そういった周りの何にも左右されずに、乗り切れると思います。
じゃあ、どうやってそれを知るのか?というのは難しいですね。ホント。もう、さっぱり。誰か教えてw
いや、結局のところ、これは経験からしか得られないものだと思えるので、どんなことがあっても受け入れ続ける決意と、ココロの開き加減だとか距離感だとか、そういったものは、表面的には波が来たり退いたりと現れるものなんだと知っておくことなんでしょうか?ね。あいつはこういうヤツだからと、レッテルを貼ってしまうのではなく。更には、自分はこういう人間だからとか、今はこういう時期だからと自分にレッテルを貼ることもなく。もちろん、耐えた結果全くココロを開いていなかったんだと言う哀しい結論に事もあるかもしれませんが、そんなこんなで関係が続けられれば、身構えなくても力まなくても、人とうまく付き合えるんじゃないかと思います。また、当然ですが、互いにそれを理解し合っていれば、なおすんなり行くんじゃないかと思います。
その際に、相手に何かを与えることが出来れば、それでお互いが成長出来ればとても素晴らしいと思います。
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ひめごと on すれ違う: おきづかいいただきま
うわごと on 実は、前から・・・: ホントこんなに甘酸っ
赤い流れ星 on 実は、前から・・・: いいな~。甘酸っぱい
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